
6月28日(火)
阿蘇の蒼空
梅雨明けそ、かもだ。
ひとつき
考えとった。
答が
少し、出たかん知れん
『信じかたが足りないから
裏切られた気持ちになる』
卓袱台返しは簡単だ
返さないところに理がある
路地裏の禅問答かよ(笑)
ひとのあいだ。
って書いて
ニンゲン(人間)って読む。
なるほど。。。。。
そこでは、様々なドラマが
繰り広げられとる。
俺もアンタも主人公であり脇役であり、観客でもある
信じた方が
善いに決まってる!!!
何故?
そう成り難いのか?
それが問題なんだよ。
あ!
熊本地方
揺れに注意。だそうだ。
気を付けんと!
揺れ。じゃなくて
揺らぎ。なら善いのにね…
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6月26日(日)
雨は、降らんかった
実は、昨晩遅くから
泊まり込んでいた。
主催者の友人が
liveの進行台本を作る間
ポロポろと、ギターをつま弾きつつ
『ひとの在り方と役わり』
『糧ある者と今日が糧な者』
『伝える。と、つたわり方』
云々
そんな激論は~
丑三つ刻の廊下に
はみ出しとった(静)
誰もが!
台風で中止と危惧する朝
灰と白の空には、ひかりが射し
願い通じたとかな?と
思う程だった。
青竹が施されたステージ、
それは『風流』そのもの。
自分のステージがどうだったか?
は、野暮だけん割愛して
(曲目。写真にて)
れーなサン。
15歳の目線で、感じるままに日々を切り取れるなら~それだけで
メッセージになるバイ!
GROWACTの皆さん。ダンスもさることながら
「家族でクーラー点けない工夫を」
って節電宣言は
皆さん共感だったデス!
司会進行の高橋よしえサン
音楽とアーティストに対する、あったかい視点に多謝
伝言・ブライアンイーノ談義、続きは番組にて。
客席は畳み敷きの体育館で、和んで
団扇とタオルの夏風情が、ありました。
樋口了一君の
ステージの頃には
曲に反応した様に
心地よい風が吹いていた。
渕野さん(サポートギタリスト)の響きに乗って
色んな風が吹いて、来た。
本当だよ
樋口君へ。
たいぎゃな久しぶり!
不覚にもオレ…
泣いてしもうた(沁々)
君の。
君の息子に対しての曲
それから28年間住んだ
東京から…熊本へ帰って(還って)来た話しの
クダリでね
胸に去来するものが
あってね……。
お互い、生きて
熊本県で再会出来て
嬉しかったバイ!
そして
歌い伝えなきゃならん!
ね。
次回もし共演したなら~
必ずビートルズのナンバーを演ろね!
東日本
イコール
『西日本の隣んち!』
俺はその様に捉えてる
ありがとう。
永らえた木の匂い
廃校を
2年間かけて
人が集い、対話出来る場所に再構築した皆さんのチカラは強く優しく、
3日も食すれば細胞から
元気になる水源婆ちゃんの
『由緒正しき田舎の飯』
を喰らって、
写真の笑顔になったのは
言うまでも無くて
俺は
オレの役わり
を
お客さんの笑顔と
腕っぷしに
学び直す、ばかり。
上から目線は要らなくて
下から媚び、へつらいも
全く無意味で
真っ直ぐに
目を見て語りかけ
寄り添うことが
何よりも必要なのだと。
それは
特別な事じゃなかとよ!
よっしゃ
また紅葉の頃に
会いたかね。



6月25日(土)
晴れのち、嫌な雨
台風は遠く近く
実際に接近していて
各地から、明日熊本に大地震が起きるから。。。
とケータイは鳴りっぱなしな本日。
それがウソでもホントでも
舐めてかからず!
覚悟はしておかねばならぬ。
明日、菊池市水源交流館で演る
『水源音楽祭2011~TO・YOU(梅雨)LIVE』
無理にとは、言いません、
状況許せばお越しください。
同時に各地(世界含む)から
『25周年おめでとう!』
と更にケータイが鳴る。
ありがとう!
正式には1986年6月21日です
千歳烏山から京王線に乗って
新宿の大きなレコード屋さんに行き
日本のロックってコーナーの
『さ』行、1番前にシングル
『OUTSIDERS』をこっそり
並べ直したことは、まるでさっきの
事のようです。
九州の貴方・あなた・アナタに
応援して貰い、熱い所属事務所やイベンター
の方々に導いて貰い、メーカーのみなさんや
書ききれぬ程の人たちに
半端無くお世話になったのでした……。
大きな橋をかけてもらいました
しかし、渡りきることが出来ませんでした。
悔しかったです。
未だに受けた恩を
返せては居ません。
それを忘れた日は
有りません。
23歳の世間シラズは
48歳のオッサンに成り~
そんなことも忘れてしまう程
4日前は、被災地の復興に対して
手伝えるアイデアを、
東京から大阪へ伝え歩いていました。
25周年にあたる2011年は
自分なりに『何か記念になる事を』と
考えてはいたものの~そんなこと~
もう、
どーでも良くなってしまったのは事実です。
前出の通り
宮城県から阿蘇に帰ってきて
未だ日常ってやつ(元より無いに等しいケド…)
に戻れて居ない自分が居て~問いかけや、小さな憤りや、大きな怒りや
焦燥感や、空虚感を持て余しているところ。
振り切れた感情に囚われても
ロクなことは無いけん
今晩中に細かく砕いて、たい肥に
せにゃんイカン!!!
ま、
そんな、今日なのであります。
自身の真実と、
思い違いすべきじゃないことは
『旅をし、曲を書き、歌い生きる人間』
ただ、それだけの人間だということ。
それが俺の一分(いちぶん)
なのだと。
旅の途中の
25年の節目、水無月6月に
足元と、向かう先を見据える日。
今日まで変わらぬ声援を感謝しとります!
明日からも元気で居て下さい。
最後に成りますが
「なんで被災地に行ったとね?」
と、色んなヒトタチに尋ねられるけん
答えておきます。
「眺めとるだけじゃ
俺が俺じゃあ無かごた気のしたけん」
です。
※1番上の掌。
乗っているのは
『線量計』です










6月22日(水)
傘を片手に
何故だか晴れ!
それは今朝のこと。
ドーナツ屋にて
コーヒーを注いでくれた子の名札、右端に
『心』とあった。
「何て読むとですか?」
と訊ねると
「はい~ココロって読みますねん」
と教えてくれた。
ココロ。か……
それは2日前のこと…
トーキョー。
義の友が
宮城の日々を
綴ったブログを冊子に
してくれていた。
一読してパッと閃いた!
同時に新幹線でなきゃ
出来ない機動性にも
ズバッと閃いた!
知って貰いたい人に
『手渡しに行こう!』
それが
今の俺のココロだけん!
ナゴヤ。
キョウト。
オーサカ。
或るラジオマンには新幹線のホームで、天むすを「でら」頬張りながら
或る精神科医と奥さんには「そうどすなぁ~」と祇園近くで
或る県関係の方々には
「ま~うごつ」
真昼の食いだおれ
くまもんの前で
(寺ちゃんファクス&コピー&焼そば定食!感謝)
或るテレビマンには「ほんまでっか???危機的ですやん!」本番前の階下のタリーズコーヒーで
それぞれの『ココロ』に
被災地に暮らす人たちの現状と、ニュースでは流れない現実を伝え、俺なりの提案をして来たとです。
皆さん多忙な中、真剣に聞いて下さいました。
ありがとうございましたっ
んで、、、
人間電池が
切れる前にですね、、、、
東京へ引き返す
『のぞみ』の中で書いています。
それは
【ココロノゾムトコロ】
あららっ
普段から軽い財布が
更に何だか軽い(散)
相反して、
胸に確かな重みを
抱いている。
物、金、こそ
『こころ』在ってのモノ。
この2週間で思い知った!
ま、
何とか羽田空港に
辿り着ければ
ヨカこっだけん、大丈夫。
俺は元気だ!
今回的に
やるだけのことはやった!
人事は尽した!
汗だくで
獣のような薫りがするんで宿に着いたらバスルームで洗濯するとです。
満席の筈なのに
俺の隣は空いてます(獣)
いろいろと
宿題は山積み
では、ありますが
明日熊本に『一旦戻り』
26日(日)菊池市での
ライヴに向かいます!
お疲れさんです。
※追伸↑
そして新たな閃き!
線量計付きのケータイ!
有ってもよかろ?
てか要るど?
どん引き、されるの覚悟で
提案してみっぞ!



6月19日(日)
神田明神は曇り。か?
今しがた、太宰府にある
ナッツさんにキャンピングカーを返却し熊本市へ向かっていると連絡がありました。
ナッツさん
ありがとうございました!
勇者の3人
(だって20時間を切って南下しとる!凄いよ君らは)御無事で何より。
本当にほんとうに
お疲れさんです。
君らのサポートが
有ったからこその
第一次の旅だったのです。
往路サポートの角田君
そして
長楽支援隊・代表の
豊永さん。
真に感謝であります!
東松島で『毎日毎晩』を支えてくれた中村君!ヤス!俺は忘れんばい(涙)
そして
この場所を訪れ、思いを共有してくれた。あなた!貴方!アナタ!へ
ありがとうを。
俺も昨晩、打合せやら何やらで、一睡も出来なかったから今から休ませてもらうとします。
声高じゃなく
静かに、強く、永く
『円循』
してゆくために。
復興までの
長いであろう…道程の為。
コラッ(天から親父の声)
結び目。
違ごうとりゃせんかい?
今の俺を
更に厳しく置いてみっぞ
現場にて
『たった』7日間でも
現場作業に携わったから
言えるハナシ!
ではあるな
つづく










6月18日(土)
静かに晴れ。
そして
震災から100日。慰霊祭。
東北の夜明けは早く
03:40
空が乳白色になる。
朝は何時も産まれたてだ。
図書館の加藤さん(写真参照)が庭のラベンダーを摘んでくれて、嗅ぐと安らぐ香りがした。それを献花に熊本市の若者2人は中村君の運転で南三陸~石巻港~大曲地区へ向かった。
…惨状を受け止め。自分が守るべきをどう?護り、生きるべきをどの様に活かし支えてゆくか?を
考えてくれたら…
いいなと思う。
強要は、せんよ。
心の置場所、俺も苦戦中
JA仙台の方々が隣の広場では物資配給のイベントが催されていて、賑わいの中、色彩々の風船が風に揺れ、それを子供が嬉しそうに受け取って~目を細めること暫し。
11:00
図書館の自由空間
「コノマチノクニ」から歌い始める。ギターと声だけの音楽、窓からの風に乗ったのかチラホラと人が集まって来る。客席の中には倉敷で知り合った若い四国出身のアーティストの姿も在った。
歌が、どの様に伝わっているか?は、この距離だとヒシヒシ伝わって来る。笑顔の人、泣いてる人、手拍子をする人
本棚の陰からハンカチを握る人…
立ったり座ったりしながら演奏し「赤い絆のリバーダンス」の頃には、しっかり繋がっていた。
歌い終え。片付けながら
頭の中では、阿蘇熊本に戻り直ぐに舞い戻るか?諸問題をクリアにして、向かうか?峻巡。
終了後、一緒にヘドロ撤去を行った子が、時間を間違った~と、お母さんとやって来たから、本編では演らなかった「月のカルデラ」と「サクラノミチ」を2人の為に唄った。
喜んで貰って良かった
そして
素直に嬉しかった。
ありがとうございます!
進藤久明でした。
泣くものか!絶対に俺は泣けない!泣いてはイカン!励ましに来たのだから。
くっ…
生きたくても絶たれてしまった命があり…
引き裂かれた絆があり…
金銭的にも心情的にも
立て直す事がとても厳しくて、物資はあっても日常に戻るには未だ未だで…
対峙する日々。
俺に出来る事が少しだけ
わかったし、宿題も頂いた
12:45
ボランティアセンターのスタッフとハグして、作業を通して友だちになった全国(世界)の笑顔とギュッと握手をし東松島を出発した。
地震でひび割れた
落差の激しい道路に
跳ね上げられながら
仙台駅までの道をノロノロと走り、車の窓から、町角の何処かしこで、鉄筋が剥き出しだったり、瓦が揺れ落ちたり、半壊している光景が飛び込んで来る。
点の作業しか
出来なかったな
俺は非力だな
でも、
誰かの為に成りたい!
と思う『力』は無限なのかも知れないな。
音楽を
至近距離で
届ける事は
必要とされとったな。。。
しかし、それは自己責任で行える!ならばの話。
先ずは、己の日常を
生きてこその話なのだ!
さ!仙台駅に着いたばい
鹿児島出身の
義の助っ人にバトンタッチ。彼の人間力があれば一層安心だから!2人を宜しく
1600キロ
気を付けて
帰路を。
俺は予定を変更し
東京と大阪に
スマイルアクションプロジェクトの
理解を得る為に動きます。
その後、少し倒れる予定
(笑)
誰が為に
旅は、つづく!
※追伸・156名の賛同者の方々には帰還後改めてお礼を述べさせてください。








6月17日(金)
曇りのち、
夕方から晴れた。
味噌と米がありゃ
生ぎていけっからぁ~
地元の出会う人ごとに
その言葉を聞く…
宮城県東松島市。
昨日訪れた、じいちゃんの避難場近くに急築された仮設住宅へ、後半サポートに来てくれた熊本市の若い衆と出陣だ。
青天だったら間違いなく
脱水なオッサン(渇)
総勢21人で21棟に生活必需品をトラックから荷降ろし、仕分け、搬入をする
みんな初対面なのに、声を掛け合い『笑いを絶さず』どおりゃあ~と踏ん張った
『何かに向かって
突き進む』そんな感じだ。
地元のお手伝い(ボランティアとは言いたくナカと)の
姉さんが~
「何だがぁ~訓練された軍隊みだいだぁなぁ~」と
感心されとった。
ザッツ日本人の
小さな連帯
小さな団結。
人は…それぞれに『華と光り』を持って生まれて来たんだと思う。それは~こんな作業に取り組む時ですら、其々の力として湧き出て来る!
日常ではどうなんかな??解き放った方が
『正の連鎖』に直結するですよ。社会のBOSS!
仮設住宅には抽選で入居なのだと、しかし!被災して電気代やら何やら支払う金が無く…辞退する人も多いんだと。。。。。
避難場が(少なくとも)コミュニティーの役目であるなら~仮設住宅に入居した時から、それは分断される様に感じる。独り身の爺ちゃん、婆ちゃんなら尚更だ、ならば入居は順番と言うより状況と家族構成を踏まえて行うべきなんじゃなかろーか?
入れ込めば良いってもんじゃないと思うし、今後セラピストや精神的なお手伝いも沢山必要に成るに違いない!
俺と一緒に写ってる眼鏡の若者。
中国から単身やって来た
葉くん!
日本で仕事を見つけて2年半で、その恩義を返したいとテントに寝泊まりしながら参加しとる!
本人曰く
『あ~ニッポンに~とてもトッテもお世話、になてるデスカラぁね』と。
素晴らしかて思わんや?
んで
風呂でも一緒だった
背中流すバイ!
ありがとう
ありがとうね
しちクドイがもう1度
有り難う(涙)
明日は第一次の最終日
図書館にて演ります。
最後に上郡赤穂・尽緑の大将からのメールを
『味噌を肴に米と情を主食に我等日本人は生きとんねん。米と情は一人ではでけへんねん。生きとるんやのうて生かされとんねやという悠久のからくりがあるから感謝の連鎖が生まれるんや。おおきに』











6月15日(水)
晴れ。たいぎゃな暑か日。
予震を除けば
とても静か、ではあります
のら猫一匹足りとも
居ません。
猫って生き物は危険予測に長けています。
ふぅ
なんて残酷なんだろう…
青空も月も夜風も。
『進藤の歌で笑顔を』と
主旨を聞いたのは、震災後間もない、阿蘇ゆるっと博・宣伝キャラバン時。福岡毎日放送の灯りを消したロビーでの事。
正味の話、、、
歌を届ける。なんてーのは二の次三の次!
だと思っていた…
しかし!どーだい
どっこい誰もが!
待っとりなはった!
しかも
至近距離で!
音楽は必要
だったのだ!
3日暮らすと地元に馴染む、変な体質のオッサンは~おにいさん。と呼ばれ(笑)
笑顔を届ける筈だったのが
笑顔を届けられてしまった
それは、俺の力でわなく
『人が奏でる音楽』
のもので、生きようとする人間の渇望と希望に違いないと思いを確信した。
御清聴を魂から
ありがとう、ありがとう
くっ
泣いてたまるか!っての
泣きたくても、辛いのは~オレ(この地の言葉では男女問わず)
だけじゃねーから。って
「どんだけ強いんだ?
東北のヒト」
胸の真ん中が痛い。。。
また、土曜日やっからね
みんなで唄おーね。
(写真参照)
押して忍ぶ。
横になりたい自分を
ドカッと蹴飛ばして一路
南三陸へと走る。
神も仏も
居らんとか?
俺は
フォトジャーナリスト
でも無ければ
ニュースキャスター
でも無い。
でも無い分…
叫び声を
立って居られないほど
聞いた………
こうやってカタカタと文章にして何になるのか?
とも思う。
俺たちが
やらなきゃならないことは目を覆ったり、自分の居る場所は安全だから~とか語ってる場合じゃあナカと!
皆までは言わん。
俺も考えるけん
アンタも考えてくれんか?
『同じ島に生きてる。これからも生きていく』
ってこと。
写真前半の子ども等を
守って育てて行かにゃん
って事。
明日は~
じいちゃんの避難場に
歌と炊き出しに行くばい。










6月14日(火)
雨のち晴れ。冷えてきた。
先ずは本日の写真を!
捻挫にて
病院に来ています
(悲)
寒っ
今、帰って来ました(笑)
えー
ピキーンとしたお月さんと光の金平糖みたいなお星さんがスマイル号の天窓から見えております!
では、1日を記しますばい
雨の早朝
我がSAP
(スマイルアクションプロジェクト)
前半のサポーターである
豊永さん、角田君は雨の中を帰って行かれました。
仙台駅まで送る、と言う俺の申し出を断り津波で寸断されたローカル線の代わりに走るバスに乗れたのは~去ってから1時間後の事。
ありがとう。熊本市に戻ったら、ひとりでも多くの現実を知りたい人に『有りの侭』を伝えて下さいね。
宅内ヘドロ撤去の件は、依然1件1件をみんなで手分けして続行中であります!
本日的に動いたことは、集まった人の中に各分野別職人さんが居た場合~例えば大工さん(写真のスキンヘッドはあきる野市からやって来た佐野ちゃん。既に友だち)だったり、庭師さんだったりした場合、自己申告にて、培った技術が活かされる=被災された方には救い。といった動きが取れる様に成ったって事!
ボランティアセンターの人員振り分け係の方も有り難がっとったもんね。
一歩前進だな。やったね!
俺はと言えば~
車内(部屋ともいう)を片付けしていて、濡れたステップを踏み外し、見事に右足をグキッと捻挫してしまったり…
風呂へ勇んで行くと
今終了しましたーだし
さっきから異様な臭いがすると思ったら作業ズボンにこびり付いたヘドロで、これがまたー洗っても落ちないんだな~仕方ないな。
乾いて粉塵を吸い込むよりは重たいヘドロの方が現段階では良い方かもね…
かなりな有害物質には変わりないのだけれど。
ま
ドンマイどんまい。
避難場に溜まったゴミに
蠅が大量発生したり、未だ揺れをは感じたり、復旧迄にはかなりな時間と労力が必要だと痛感しとるとよ。
でも、力を併せて
やらんとな『同じ島に暮らしとる』訳だけんね。
皆でやりゃあ
何とか成るて信じて
やりよるよ!
ごめん。麦酒1本だけ
飲んでよかろーかね(渇)
明日の曲目
決めにゃんとたいね
笑顔に会わにゃんしね
俺の職業は
シンガーソングライター
なんだけん。







6月13日(火)
晴れ。軽い熱中症、ぷひー
96世帯の田畑広がる住宅地
23名の住民の方が亡くなられたのだと……
じいちゃんは港の方から~(因みに2キロ先!)
聞いたこともない唸りをあげながらやって来る津波の浸水の中を軽トラックで、山手の方へ逃げ延びたのだと。
朝8時半にボランティアセンターテントに行き登録をし、6名でワゴンに乗り込み、向かった先は そんな現場だった。
あわわ
こんな所までヘドロは浸食しとるんか!と思わず舌打ちしてしまう。庭の隅々を全員で鍬とスコップで撤去し、土嚢袋に詰めてゆく。
じいちゃんの鍬の入れ方は大の男6人、誰も敵わない程に凄かった!!!
寡黙なその腰に学ぶ。
刻まれた皺、避難所の代表を努められとる
じいちゃん。
生きとって良かったね
長生きば~してね
ギュッと抱きついたら
泣きよりなはった…
俺たちの出来る作業と手伝いはピンポイントな、
とても小さなちいさな事。なのだと思う。
ガレキや、腐った魚の死体や、製紙工場の薬品の染み込んだ塊や、畑まで流されてきた沖合いのブイ等はプロフェッショナルな業者さんが重機で撤去されるそうで、今日は行方不明の方の捜索が行われていた。
小さな作業を各地方から、やって来ている『御手伝い』の全員で『積み重ねて』やっている。
点は確実に
線に成っていると思う。
しかしイキナリ
面には成らないだろう…
向こう10年の復興計画を全国の小中学生から募ったらどうだろうか?
交通機関企業に、手伝い(ボランティアって言葉は虫がスカンけん)に来たい人の為の割引き料金の露出を、メディア通常CFと平行して促したらどうだ?株が上がるよ。
こんな状況でも、やっぱり利益を追求するとかな?
『やりくり』出来んかな…
一介のうたうたい
の
俺がほざく事でわ無いか…
嗚呼
色んな感情が
押し寄せてクルよ
現場の全員が
汗とヘドロにまみれてんの、伝わったなら
みんなむくわれる。とです
お願いがあるとよな。
余り、、、頑張れって
言わないでくれないか?
ありがたいのは身に沁みています。
何故だか
腹が立つ。
なんでだろな。。。。
今日はここまでしか
書けん。
お疲れさまです










6月12日(日)
宮城県東松島市は、晴れ。
先ずは、ミチカさん。
君が、学校の友だちに
ツィッター等々で
呼び掛けてくれたお陰で
購入できた
「たくさんの土嚢袋」
家屋に入り込んだ
ヘドロの撤去に早速役立ち~残りはボランティアセンター
に差し上げました。
ありがとう!
「足しても足しても足りないのでマジ助かりますよぉ」と
そこには笑顔がありました(嬉)
その笑顔は
小さくは無かったとです。


朝方の続き。
ラジオから森高千里さんの「雨」が流れてきた…
3人で力を合わせて
笑いながら(極力)
進んでおります。
雨雲を抜けて
少し明るい雨
時速85キロ。
宮城県到着予定は
20時半!
ゆっくりしっかり
で、あります!
追伸・別府の温泉を積んだ特殊ローリーと並走しとる
前々から発信しとるごつ
阿蘇もやらねばです!
市長さんっ。
きっと役に立てる筈です。



6月10日(金)
豪雨強風竜巻。。。
今、九州道上り
山川サービスエリアです。
しっかし、どーよ
この天候…
男3人の1600キロ移動
ま、安全運転が一番
ですけんね。
出発前に沢山の激励の
メール
本当にありがとう!
また、更新するけんね。
追伸・線量計は今や
全国民に配布するべきだと思うのであります!
マチとマチが繋がって
日本国なのだから。


6月9日(木)
暑かったな
ひとりの人力として
ひとりの歌力として
為に成りたいと思い
その様に動くことは
表裏無く
解りやすいと思う。
『拡げたらどうだろう』
『拡がらなくては意味がナイだろう』
有り難い言葉を
誰彼問わず頂いています。
先ずは
第一次、第一陣!
それからです。
『現場』の状況を
把握せんとイカン
理想の無想じゃイカン
汗かき叶えにゃんとバイ
迷惑に成らんごっせにゃん
無理をしても
永くは続かないって事だけ直感が言う……
小さな笑顔が生まれたら
いいなぁーって、行動。
スマイルアクションプロジェクト。
ベースキャンプは
ナッツさんの
キャンピングカー。
有り、難い
有り、難いのです。
明日、経ちますけん!

6月8日(水)
くもり少し晴れ
音楽療法の為、朝から
熊本市へ走る。
阿蘇の山々の
緑と
灰と青の
空の色合い。
悪くなかったな
それはさておき、、、
アンタ
有名税って知っとる?
知っとるよね。
んじゃ
『無名税』
ってのは?
。。。。。
あるんだな~これが…
私。自慢じゃありませんが
かなり、納めとります(笑)
これはリアルな話っす。
ま、極力~『今の』
義務だと
思うようにしとります。
でもね
音楽を
ないがしろにした上で
無名税を搾取するのは
良くないね。
きちんと
収めてる訳なんすから
(ハイ笑うとこ)
私は流木みたいなもん。
ですが
音楽は軽くないんすよ
せめて聴いてもらわんと。
ザッツ無名税。
かまわず往くばい!
俺は。
※写真はご存知
『阿蘇ゆるっと君』
宮城県で大活躍します!





6月7日(火)
メチャクチャ雨ふり
前作のマスタリングを施してくれた竜三殿(2007年4~5月のブログ参照されたし)との1日。
宮城に先ずは行くけん!と告げると先だって主宰されたイベントでの義援金を、宮城のスマイルプロジェクトと言う復興支援の団体に直接送っているとのこと。
ほらね、お互い申し合わせた訳でも無いのに勝手に繋がっとる。
お見事な作業の数々
畏れ入りました!
嗚呼、ありがとう。
本日仕上げた楽曲は
現在制作中のアルバムの
最後に収録する予定です。
お楽しみに!
阿蘇ゆるっと博の
夏の販促物も受け取りに行かねばならんし
アルバムの写真選定やデザインの打合せをせねばならんし
宮城行きの準備もせねば
ならんし
そして
たつのすけ先生に連絡を
せねばならん。
バケツから直接
ザーザーとかけられてる程の雨の中を
爆音で我が子の様な楽曲を聴きながら、一路熊本へ。
確かな手応えを信じると
しよう。
6月6日(月)
くもり、晴れ、雨
初めての、語り歌。
路地裏の打ち水
レンゲ畑とガンガラ自転車
真夜中の争い声
縁側の匂い
プールのプリズム
ホテルを掃除する母親
年の離れた弟
Amが力をくれた
3病棟の枯葉
4人の若者
遠くへ行きたくて
結局…ひとりで
とぼとぼ帰った
雪より白いお月さん
2つのひかり
守ってゆこう
「しっかりせんかい」
今も
アンタの声が
胸で鳴ってるよ
ありがとう
ありがとう
育ててくれた
ありがとう
ありがとう
生きようと思った
ありがとう
ありがとう
生きようと思った
生きようと思った
生きようと思った。
※夜が明けたらなら
一路宮崎へ走るけん!
勿論、レコーディングと
マスタリング。であります







6月5日(日)
熊本の梅雨模様
のち
雨、上がる!
かの、蒲島知事さんが
「やりましょう」と
開催に至ったイベント
とのこと。
おーイェイ
知事もやるぢゃんっ!
ってのは本音とです。
地方にしかやれない
チャリティってあるけんね
ありがとう
熊本市の皆さん!
って、初めて
言うかもです……
『諸々含めて』
為に成れたのなら
光栄なんであります。
本日的に
関係者、出演者の皆さんにも
フラガールの皆さんも
福島より遥々と
ありがとう!
ありがとう!!
ありがとうですばい。
あ!
くまもんにも~
付き合わせて
お疲れもん!
追伸・福岡から雨の中、観に来てくれて感謝っす(涙)

6月3日(金)
雲多し晴れ
普賢岳噴火から20年。
先に宮城県に災害復興支援に行ってる友人と電話にて現場打合せをしたとこだ。
公式サイトのトップを既に見た人も居ると思う、俺は来週から宮城県へ行かせてもらう。
「何で行くのですか?」と様々な人から聞かれるが
「なんさま行かにゃん!」
て思うたけん
行くとです。
日中は現地のボランティアセンターの指示に従いヘドロの撤去等々、夜は『歌が必要であれば』唄う。そんな日々を先ず『第一次』っちゅーことで行ってきます
3月11日以降、阿蘇ゆるっと博の宣伝にて関西から九州まで行脚した際に(3月のブログ参照されたし)自粛規制や震災の話しには触れないでー等々の
悪い意味での沈黙の中で
『阿蘇の温泉を被災地に定期的に運んだらどうか?』
の提案もしてきた。しかし現実は、残念ながら自分の無力さと無名さを、嫌と言うほど突き付けられるだけだった。
結果
ライブにて義援金を募り、ヤフーの傘を借りて呼びかけをすることしか出来ていなかった。
宮城に暮らす従弟は津波に社屋ごと流されそうになり、命からがら帰省して結婚式をあげた。そして寸断された道を新婦と帰って行った。
『被災地とされる場所は彼らの新天地なのだ』
その時に必ず歌いに行くと約束をした、
未だに
安否不明な友人も居る……
さて。どう動くべきか?
そんな時、光が射してきた
16年前。阪神淡路大震災の時、神戸にて復興支援を行った熊本市の人たちと知り合うことが出来たのだ!
話しは早かった。
独りよがりで
行くのじゃなく
一度っきりで
終わるんじゃなく
少しずつ輪を拡げて行く。
と言った思考も俺と同じだったからだ。
とても有難かったし
スマイルアクションプロジェクトの原型は既に在った、っちゅー訳だ。
そして俺は
肩まであった髪を切った。
メルトスルーの恐怖
いつ何時大地震が起きるやも知れない不安…
操作され
エンタティンする
情報ショーに
惑わされたくはない!
(その仕事の大変さ解っています)
政治の世界に対して
怒りや唾を吐きかけたい
気持ちが~
俺に無い訳じゃない!
そのエネルギー何処に使うとよかや???
わかるどたい?
言葉足らずは
洞察くだされ。